私が娘のことばの遅れに気づいた時〜 スタンフォードへの道1

そもそも私は子供のことばの発達に無関心な親でした。

妊娠8ヶ月で主人の転勤に伴い渡米。当時の駐在員の妻は働くことができません。

それなら早く授乳期を終えて、アメリカの大学に行きたいと思っていました。

「タダの専業主婦じゃもったいない。せっかくの機会を生かして、今までできなかった留学(もどき)のようなものをしてみたい!」

と思っていたのです。

今のようにネットがない時代、どこか娘を預けれるところはないかと、0歳のときから本当に真剣に探すことに時間をかけていました。

娘が1歳半になった夏、9月から私は近所のギルフォード大学の大学進学準備クラス、娘はノースカロライナ大学の保育園へ行く準備が整い、そうなると忙しくなってしまうからと、その前に一旦日本に1ヶ月ほど帰国することにしました。

それが、出産後初めての日本です。

飛行機を乗り継いで24時間かけて帰る久しぶりの日本。

食べるものすべてが美味しくて、プッチンプリンで泣けた記憶があります。

娘は、歩き始めるのも早かったので、ことばも含む総合的な発達状態というものを気にもとめていませんでした。

 

そんな私が、なにげなく訪れた1才半検診。

言葉の発達が少し遅れているかもしれませんが、アメリカにいるなら英語のインプットの方が多いんでしょうね。将来バイリンガルですね、いいですねぇ。」

 

と言われたにもかかわらず、

バイリンガル

という言葉に浮かれ、さほど気にも留めなかった私。。。

 

日本滞在中は久しぶりの友達に会ったり、親戚に娘を見せに行ったり。

話題は、私ののアメリカでの出産、当時日本では珍しかった無痛分娩、

いかにアメリカ人が子連れの母親に親切かなどという「親から目線」の話ばかり。

本屋で育児雑誌や絵本を数冊買ったものの、

娘をつれて人に会うのが忙しくて

帰りの飛行機の中で初めて本を開く、という状態でした。。

続きはこちら

私が娘のことばの遅れに気づいた時〜 スタンフォードへの道2

正しいバイリンガル教育について セミナー開催 1/24, 1/27

 

 

 

 

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大川 淳子

大川 淳子

金城学院大学卒 二人の子に幼児英才教育を施し、自らアメリカで運転して回る、名門校受験マニア。自らの経験を生かして米国出産、バイリンガル教育、日本のインターナショナルスクール受験、米国サマースクール選択、外国人メイドの雇い方などを伝える。特に何百人もの10スクールの受験者の合否判定をした娘の経験からアメリカの学校側の価値観を伝え、母親に合格する子の育て方を伝授してきた。 また、潜在意識を利用したその気にさせる子育て方法を提案。二人の子供とけんかしたことは一度もない。

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