私が娘のことばの遅れに気づいた時〜 スタンフォードへの道7

こちらのブログはシリーズとなっております。
第1話はこちら
http://gsinnovation.co.jp/blog/f-post/857

私は娘を抱きしめ泣きながら、これからどうしたものかと考えました。

日本人夫婦の私たちがこのままアメリカで1歳9ヶ月の子を育てたら、両方のことばが中途半端になる可能性が高いです。

せめて、日本語か英語かどちらかだけでも、人並みにしてやらねばなりません。

 

こうなったら選択肢は4つ

 

1、100%日本語環境にする。夫には単身赴任をしてもらって私は娘と日本へ帰る。

選びたくない理由→
あまりにも南部の田舎で外食がとても塩辛く食べれたものじゃありませんでした。
日本の単身赴任のように外食ばかりというわけにはいきません。
自宅で食事を作るのも日本とくらべ、食材の調達に手間がかかるのです。
結果として、他の日本の駐在員家族に迷惑をかけることになってしまいそうです。

 

2、100%英語環境にする。家の中も英語にする。

選びたくない理由→
これらバイリンガル研究本にも書いてありますが
私の母国語が日本語なのでかえって状態は悪くなります。
完璧にやるには、アメリカ人のところへ養女に出すくらいのことをしないと無理です。

 

3、セミリンガルになることを承知で今までのような生活を続ける。

選びたくない理由→
将来どうなるのか知ってしまった以上、さすがにそれはできません。
娘に申し訳なくてこの選択はないです。

 

4、日本語と英語の両方を年齢相当まで引き上げて、アメリカの難関大学を目指す!

これが一番選びたい→
これらバイリンガルを研究した本によると、2ヶ国語操れるのはほんの一握り。
それも、母国語がよく喋れる子に可能性があるようです。

 

しかし、今の段階でセミリンガルの娘に、果たして4番が目指せるのでしょうか?

 

そもそも、どうやったら年齢相当のことばが喋れるようになるかもわからない。

それでもアメリカの難関大学を目指しても良いのでしょうか?

 

周りに前例もありません。コーチもいません。

何をどうやったら、この言葉の遅れた子がしゃべれるようになるのかもわからないのです。

私は悩みました。

でも、やっぱり私は4番をを諦めたくなかったのです。

 

アメリカでは、出産後の女性が子供を育てながら、とても楽しそうに働いていました。
出産、子育ての間、一旦休職しても、また簡単に復帰していたのです。

それらを見るにつけ、女の子こそ、大人になったらアメリカで生活させてやりたいと思っていました。それには、日本の大学では差別の対象になるでしょう。

 

それに、あのギルフォード大学の授業で受けた衝撃が忘れられなかったのです。
勉強するってこんなに楽しい!って娘にも教えたかったのです。

 

どうしても娘をアメリカの名門大学へ行かせて、人種差別を受けないようにしたかったし、自分で育てたかったのです。

 

 

 

まるで地図もなしで、目的地がどれほど遠いかもわからずに航海にでるような

無謀なことをやろうとしているのは百も承知でした。

ただでさえ、難しいことなのに、言葉の遅れた子に挑戦させるなんて。。。

 

下手をしたら、さらにセミリンガルまっしぐらで、取り返しがつかなくなるかもしれないのです。

 

とりあえず、自分がギルフォード大学へ行くのは諦めました。調査の時間を作るためです。

あんなに充実した日々を過ごしていたのに。。。

ここで諦めるのは本当に悔しかったです。。

だけど、私が米国の大学に行くのなんて、10年先でもなんとかなるでしょう。
今この子の教育に手を抜くと一生後悔することになります。

 

とにかく、情報収集をしなきゃ。。。

 

私は、そのとき思いつくものを片っ端から挙げてみました。

1、保育園の先生に相談する。

2、あの黒人のお父さんに相談する。

3、アメリカの小児科の先生に相談する。

4、ノースカロライナ大学の保育学部で相談する。

5、ギルフォード大学の自分の担当の先生に相談する。

6、他の日本人駐在員の奥様たちに相談する。

7、日本の他の書店に電話をかけて、今回送ってもらわなかった本で、セミリンガルを直す本があるかを探してもらう。

8、アメリカの本屋でセミリンガルの本を探してみる。

9、近所のアメリカ人のお母さんに尋ねてみる。

10、この日本語のバイリンガルの本の著者に手紙を書いて相談する。

11、この本に出てくる、「わずかな成功者」の名前を著者に教えてもらって、どんな風に育てたのか教えを請う。

12、日本語や英語のセミリンガルを直す本がないなら、この際、何語の本でもいい、翻訳者を探してくる。

13、セミリンガルの専門家がどこの国に住んでいようが、通訳を連れて片っ端から会いに行く。。

 

ちょっと思いついただけでこんなにもまだ可能性があることに

 

私は興奮しました!!

↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑

ここが、挑戦好きな大川淳子ですね(笑

 

バイリンガルにするのを諦めるのは、

これだけ全部やってからでも遅くはないと思い始めました。

 

 

 

このとてつもない大プロジェクトに挑戦し、

成功させるのがものすごく楽しみになってきました!

 

そんな風に覚悟を決めたら、なんだか吹っ切れました。

私が泣いている場合ではないのです。

さてと。忙しくなるわ。。。

 

クリスマス休暇まで、後2日でした。

私は立ち上がって、小児科の先生のアポをとるために電話をかけ始めました。

続きはこちら

私が娘のことばの遅れに気づいた時〜 スタンフォードへの道8

正しいバイリンガル教育について   セミナー開催 1/24, 1/27

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大川 淳子

大川 淳子

金城学院大学卒 二人の子に幼児英才教育を施し、自らアメリカで運転して回る、名門校受験マニア。自らの経験を生かして米国出産、バイリンガル教育、日本のインターナショナルスクール受験、米国サマースクール選択、外国人メイドの雇い方などを伝える。特に何百人もの10スクールの受験者の合否判定をした娘の経験からアメリカの学校側の価値観を伝え、母親に合格する子の育て方を伝授してきた。 また、潜在意識を利用したその気にさせる子育て方法を提案。二人の子供とけんかしたことは一度もない。

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