家に帰ると、私は手当たり次第に当時のアメリカ南部の人種差別について調べ始めました。
このとき、初めてBrown paper bag の意味を知ったのです。。
それはつまり、この紙袋の色より濃い肌色の人は差別されるということだったのです。
全く自分が黄色人種だということをわきまえない私の振る舞いが、あの白人のお母さんには気に障ったのでしょう。
遠回しに、
あなたは、自分がこのBrown paper bag 以下だということを気がつけ!
自分の立ち位置を知り、それに沿った振る舞いをした方が良い。と暗に教えてくれたのでした。
昔、Brown paper bagは、いろいろな集会などで受付に置かれ、肌の色がこの紙袋よりも濃い人は入場できない等の差別に使われてきたのでした。
当時ですら、30年ほど前までは、プールなどは白人用と黒人用に分けられていて、白人用プールに黒人がはいろうものなら、ただちに監視員に引き上げられ、
「まるで、毒物がプールに混入したかのような」
扱いを受けたと聞きます。
このまま、あの保育園に通わせて良いものだろうか??
かといって、他に行ったとしても、教育水準が高いところほど白人だらけだし、家の中にずっといても娘は退屈してしまうし、、、。
何より、娘はあの保育園がとても気に入っているし。。。
と私は悶々と考えていました。
そして、私がギルフォード大学に行くためには、娘をどこかに預けなければなりません。
遠足に行くために休んでしまったので、宿題もたまっていました。
次の日、なんとなく気が進まないまま、私は保育園に娘を送って行きました。
その時、ばったりあの黒人の男の子のご両親に会ったのです。
「今度の週末、一緒に動物園に行きませんか?息子がもっといろんな動物が見たいって言ってましてね。」
とその黒人のお父さんに声をかけられました。
それは、うちの娘とその男の子だけ誘われなかった、クラスの白人の子のバースデーパーティが行われる日でした。
彼はこのノースカロライナ大学の教授でした。
私はなんとなく救われたような気がして、週末そのご両親と男の子と動物園にでかけることになりました。
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大川 淳子
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