あるとき、保育園からPetting Zooへ行くために、車を出してくれないか?
と頼まれました。
幼児がさわれるおとなしい動物(ヤギ、羊、うさぎなど)ばかり集められたところへ、遠足としていくのに、数名の保護者の車に分乗していくということでした。
「Brown bagも持ってきてください。」
きょとんとする私に、
「Brown paper bagのことです。つまり、現地で捨ててしまえる袋にいれた、ランチのことですよ。」
と他の白人のお母さんが教えてくれました。
(へええ、そんな英語の使い方をするんだわ。。)
と、その時はさほど気に留めず、私は娘のランチをよくある薄茶の紙袋にいれて保育園へ向かいました。
そして、私の車に乗せられたのは、私の娘と、黒人の男の子と、黒人の片付け専門のおばあさんでした。
現地についても、他の白人の親子たちはグループになって楽しそうに談笑しているのに、娘とその黒人の男の子は、交わろうとしません。
他の白人グループの親子達からは、私たちは視界の中に入っていないかのように見えました。
また、他の白人の子どもたちは、ヤギや羊に向かって既にいろんなことばを喋っていました。
つまり、うちのような、英語をしゃべることもできない黄色人種の子どもは、
彼らにとって、
「相手にする価値がない子ども」
だったのです。
次の週末に開かれる、お誕生日パーティの話題も聞こえてきました。
当然、うちの娘にはお誘いの言葉はありません。
私に車を出して欲しいということは、白人の車に有色人種は乗せたくない、つまり、私の車一台にまとめてしまいたい。ということだったのです。
それまで、人種差別などよそ事のような気になっていた私は、自分は黒人のグループで、差別される対象なのだということ、そして、娘が英語を一言もしゃべらないために全く相手にもされていないのだという現実を突きつけられました。
この人種差別と娘のことばの遅れというダブルパンチを受けた帰り道。
例の黒人の片付け専門のおばあさんに私はいろんなことを聞いてみました。
しかし、悲しいかな、彼女の南部訛りの英語は難しくて私には聞き取れません。
書いてみて。と言っても彼女は書くことができませんでした。
彼女くらいの年代の黒人は、ろくに学校にさえいけなかったのかもしれない。。
私は、大変失礼なことをこの黒人女性に言ってしまったのだと気づきました。
そして、こんな状況だとは全く知らずにいた自分を反省し、これから先どうしたものかと思いながら、また黒人の男の子とそのおばあさんを乗せて、保育園へ帰って行きました。
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大川 淳子
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