どんなことでも、やったことのない人の思い込みや推測は、アテにならないことが多い。
本当にやってみる、ということは、思いもよらない失敗や、驚くような成果の連続だ。
そして、本当にやってみるからこそ、子どもの様子もよくわかる。
特に、相手は何を考えているのか、訳がわからない乳幼児である。
大人のように、こちらに気を使うことは一切なく、自分の思うがままに生きている。
それを、いかに気を引き、面白がらせ、楽しませながら何かを教えるというのは、
もはや、教育というよりは、毎日が実験に近い。
私のことを教育熱心な良い親、と評してくれる人もいるけれど、
身近な友人たちは、うちの子たちは、私の興味の実験材料だったことをよく知っている。
つまり、
「子どもたちのために、やりたいことを我慢して、自分の身を削って教育した」
わけでは全くない。
私自身が
「どんな取り組みをしたら、どんな反応をするのか?面白くて面白くてたまらない!」
状態だったのである。
もはやこれは実験であり、科学である。
アメリカ、ノースカロライナで朝9時から昼の3時まで子どもを預け、その間に家事と子どもの教材を手作りしていた。
3時に子供が帰ってくるのを待ち構えて、それからは子どもが夜寝るまで、一切自分のことはせず、つきっきりで、あれやこれや、自作のおもちゃや、教材を試していた。
今日は喜んで遊んでくれた、今日は見向きもされなかったと喜んでみたり、落ち込んでみたり。
端からみたら、相当変な人だったに違いない。
だけど、やってみたらわかると思う。適切な教え方をしたら、恐ろしいほどの成長をするのが乳幼児期なのだ。なんでも、スポンジのように吸収する。
3歳までに日本語や英語の絵本を一人で読めるようにするくらいは朝メシ前である。
日本に帰国後、アメリカへ半年ぶりにつれていったら、
2歳半の息子は、
「ママ、アメリカの看板は英語しか書いてないねぇ。」
と車の後部座席で、外の景色を見ながら言っていた。
この年齢でも、日本の看板は、アルファベット、日本語ごちゃ混ぜなのがわかっていたのだ。
2009年頃、幼児英才教育の弊害ということが雑誌等で書かれるようになった時期がある。
そのほとんどは、
「嫌がる子どもに無理やり何かをさせている。」
そして、親は、
「私がこんなに頑張って教育してあげているのに!」
と被害者意識まで持っている。
つまり、親も子も全く楽しんでいないのだ。
それでは、英才教育でなくたって、嫌になって当たり前。
好きな食べ物だって、ずっとそればかり食べていたら嫌になるだろう。
好きな泥んこ遊びだって、それを強要されたら、嫌になるだろう。
親がどれだけ子どもを楽しませられるか、どれだけ自分がエンターテイナーになれるか?
そんな風に接してきた、私の幼児英才教育仲間は、誰一人子どもの教育に失敗していない。
小学生にでもなれば、自分から勉強を始めるので、親はヤンヤと言わずに済む。
「勉強しなさい」
と言わずに済む、少しの勉強時間で良い成績が取れる子に成長するのだ。
皆、大学に入る年齢になっているが、難関大学へ楽勝で合格している。
それなのに、正しい幼児英才教育をやったことのない人が、弊害のアレコレを論じているために、適切な指導方法が下火になってしまったような気がする。
今の時代に乳幼児を育てている人の方が、私たちの時代より幼児英才教育の情報をあまりもっていないのだ。
それこそ、
「幼児英才教育を無理やりやらせて失敗人たちの声」
の弊害だとしか思えない。
今こそ、本物の適切な教育方法というものを、もう一度広めたいと思う。
大川 淳子
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